野村克也 名言集

仕事に挫折したとき、組織に悩んだとき、人生に苦しんだとき… 野村克也の言葉があるじゃないか。ノムさんの人生哲学が凝縮された名言集。

失敗と書いて成長と読む

「WHY NOT」は守りの哲学

打者が三振したとする。そこで「なぜ、三振したのか」で終わってはいけない。「なぜ、打てなかったのか」まで考えるのだ。裏側まで検討しなければ、今後の対策としては十分とは言えない。

とことん凹む人間は、見込みがある

鈍感な人間というのは、感動したりショックを受けたりすることが少ない。とことん凹むということは、感性が鋭いということである。これは、どんな仕事においても大切な要素だ。

問題意識は成長の素

どんな仕事をしていても、必ずどこかで壁にぶち当たる。そのときに、「この壁は、どうして自分の目の前に立ちはだかっているのか」「原因はどこにあるのか」と疑問を持つ。その問題意識こそが、成長につながる。

反省がなければ、成長はない

反省は基本的に嫌な作業である。過ちを受け入れなければならないし、思い出したくないことと向き合わなければならない。しかし、反省があるから次の機会への想像が生まれ、実践につながっていく。好循環は反省から生まれるものなのだ。

人間は挫折を経験して、初めて謙虚になれる

挫折したときに、初めて気づくことが多々ある。反省、研究をしたことで、初めて謙虚になれる。挫折を経験し、苦難を乗り越えたことによって強くなり、大成することができる。

人は、失敗してはじめて自分の間違いに気づく

失敗ほど人を成長させるものはない。どうして失敗したのか、何がいけなかったのか。欠点や弱点を克服するために、頭を使い、知恵を振り絞り、創意工夫する。その試行錯誤の過程で、人は成長するのである。

記憶に頼るな、記録に残せ

人間は、忘れる生き物。野村は現役時代、対戦したすべてのピッチャーの配球やクセをメモしていた。同じ失敗を予防するために欠かせなかった。現在も本やテレビ、人との対話で気づいたこと、感じたことを何でもメモ帳に“記録”している。

成功や勝ちからよりも、失敗や負けから得るもののほうがはるかに多い

失敗し、負けたからこそ、「自分のやり方はおかしいのではないか」と疑問を抱き、正そうと考える。頭を使い、考えることは、敗者ならではの“特権”。

負けは謙虚さと慎重さの母

失敗や負けは、過信やうぬぼれを戒め、謙虚さ、素直さを教えてくれる。さらに、慎重さ、繊細さを身につけることを要求する。

野球とは“失敗のスポーツ”である。成功より失敗の方がはるかに多い

バッターは、どんなに優秀であっても、ほぼ7割の確率で打ち損じてアウトになる。エースと呼ばれるピッチャーでも、一試合に失投と呼ばれる投げ損じが、かなりの数ある。

失敗を乗り越える執念を持て。執念こそが、失敗を成功に変え、不可能を可能にするのだ

「お前は二流はよう打つけど、一流は打てんのう」南海で四番を任された頃、鶴岡一人監督に言われた言葉が重く響いた。当時の一流投手と言えば、西鉄の稲尾和久。「何が何でも一流を打ってやる。稲尾を打ってやる」。稲尾のフォームを16ミリカメラで撮影し、…

失敗したときに、何も感じることがない人間には先がない

自分の失敗に鈍感な人間ほど、すぐ謝る。

失敗をしたとき、なぜ人は言い訳をしたがるのか。失敗と正面から向き合いたくないからである。失敗から逃げ出しているのだ。だから、同じ失敗をまた繰り返す

言い訳をする選手はまず伸びない。特に、リーダーの言い訳は禁物。

人間の最大の悪は何か。それは鈍感である

鈍感な選手は同じ失敗を繰り返す。感性が鈍いから失敗しても失敗と気づけないし、たとえ失敗を自覚しても、なぜそれが起こったかを自己分析できない。

「失敗」と書いて「せいちょう」と読む

人間は、失敗してはじめて自分の間違いやいたらなさに気づく。そして「どうして失敗したのか」「何がいけなかったのか」と反省し、「どうすればうまくいくのか」「何をすればいいのか」を真剣に考える。この過程で人間は成長するのである。

同じ失敗を二度も三度も繰り返す人間は、二流、三流にしかなれない

一流は同じ失敗を繰り返さない。

不器用は、最後に器用に勝る

器用な人間は何事もそれなりにこなすことができるので、周囲から重宝され評価もされる。しかし「器用貧乏」という言葉があるように、「これだけは負けない」という自分の武器を持てずに終わることが少なくない。対して不器用な人間は、要領が悪く、何度も失…

三振という結果だけを見て責めては、選手は次から三振だけはしないようにマイナス思考になる

大切なのは失敗を次につなげること。結果よりプロセスを重視する野村イズム。

絶対に結果論で叱らない

若手選手と接するときは特に大切。打者がカウントや状況、配球パターンなどを考慮して、結果として失敗した場合、「できるだけの準備をしたのだから」と叱らない。「全力を尽くした上での失敗から学ぶことは少なくない」と知っているから。

一流選手は修正能力に優れている。同じ過ちを二度繰り返さない

二度繰り返す者は二流、三度繰り返す者は三流。

一流とは、より多くの疑問を抱き、失敗からたくさんのことを学び取る能力に優れた人間

自らが経験し、考える。これが一流への階段を上がることにつながる。

一流は弁解せず、二流は責任を転嫁する

失敗に対して潔く責任を認め、受け入れること。この強さと客観性が向上心につながり、自己変革のきっかけとなる。

若いときに学んだ経験や学習はあとになってじわじわと、効果を表す。逆にその苦労をしなかった選手、考えなかった選手はベテランになってからも同じ過ちを繰り返す

タイトルを獲る素質を持った選手が、3年でタイトルが獲れなければ、幸運がない限りタイトルは獲れないとする「タイトル3年以内論」に対して。

人の値打ちは失敗から立ち上がるかどうかで決まる

「再生に成功した選手は、すべてをやり尽くさないまま、ただ結果が出ないから解雇された者がほとんど」。たとえば、投手が球種をひとつ覚えるだけでガラリと変わる。「方法を伝授し、考え方を変えさせる。これぞ再生の秘訣」。“再生工場”と言われる野村が、…

つまずきは絶望ではない。絶望=死なら、軽い風邪か、はしかといったところだ。人間、誰しもつまずく。つまずいて初めて出発できると考えるべきだ

天台宗僧侶で作家の今東光の話を聞いて。

進歩の過程にムダはつきもの。ムダには2種類ある。ひとつは文字どおりのムダ。やって空しい努力、やらなかった方がよい努力がこれだ。もうひとつは、一見ムダに見えるけれども、時間の経過とともに役立つムダ。これを目指すべき

プロセス主義の野村の持論。失敗から何を学ぶか、ムダから何を学ぶか。それが問われる。

本当の強さとは、どん底を見て、そこからはい上がってきた人間が持ってるもんや

真の強さとは、失敗から育まれる。

勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし

ラッキーで勝利を拾うことはあるが、どんな敗戦にも必ず敗因がある。不運だけによる敗戦はない。それを厳しく自己分析することが、次の勝利を導くための第一歩。勝因ではなく、敗因を徹底的に分析する。

小さな失敗ほど、厳しくチェックする

監督としての基本姿勢。放っておけば、後の“大過”となる。

失敗の根拠さえ、はっきりしていればいい。それは次につながるから。読みが外れてダメだったら帰って来い。次、頑張ればいい

選手が自分なりの考えを示せば、結果は問わない。逆にヒットが偶然出た場合、「次につながらない」とあまり喜ばない。一度もバットを振らず三球三振に倒れても、「全部まっすぐを待っていたが、三球ともカーブが来た」と理由があれば怒らなかった。