努力とは
小さなことの積み重ねの先には、大きな光が待っている。人の心に最終的に残るものとは、自らが考えて導き出しこだわって取り組んだ「小さなこと」だ。
そして、その「弱さ」から這い上がれるかどうかは、結局は自分自身にかかっている。「人は皆弱者である」これもまた野村の持論である。
その可能性がいつ開花するかは誰にもわからない。たしかなことは、努力を続けていれば必ず可能性は引き出される。そして、可能性に限界はない。
夢を実現するために、常に向上心を持ち続けることは大切である。そして、向上心を持ち続けるために必要なのが、「平常心」である。平常心とは、普段と変わらない心であり、なにごとにも動じない心。それは、日頃の鍛錬や努力、そして小さな成功の積み重ねか…
人はイメージできるものにしかなることができない。「メジャーリーガー」というイメージを持つことができない人は、未来永劫メジャーリーガーにはなれないのだ。
限界を感じたところでいかに刺激するか。あと一歩の努力をするかしないかで人生は決まる。
「実行力を妨げる要因は3つある。必要性の認識がないこと。失敗の恐怖が働くこと。そしてプライドが高く、それが邪魔することである」
プロ1年目のオフ、テスト生だった野村は南海から解雇通告を受けた。なんとかクビだけは免れたが、プロの厳しい生存競争を勝ち残っていくためには、なりふりかまってはいられない。恥ずかしいとか、みっともないとか、怖いといった羞恥心も恐怖心もなくなっ…
現役時代の野村は、素振りをするときに聴覚に気を使った。「ブンッ」というバットの振幅音が聞こえるときは正しいフォーム、正しい力の入れ方ができているときだった。いったんその感覚をつかんだときは、すぐに実戦で試したくなり、早く明日になれと思った…
運、不運には、必ずと言っていいほど、それなりの理由や過程があるもの。その意味で、運も実力のうちだし、自ら努力してつかまえるものだとも言える。自分は運が悪いと嘆いたり、今回は運がなかったと済ませてしまう人も多いが、それでは幸運をつかむことが…
努力とは地道なものである。努力に即効性はない。小さなことを単純にコツコツと積み上げるしかない。そして、それがやがて大きな成果につながるということが頭でわかってはいても、継続させることは並大抵の意志ではかなわない。努力という言葉は、まさしく…
これまで数多くのプロ野球選手や関係者をはじめ、多くの人間と接する機会を持ってきた野村の持論。このような人間は、失敗したり、つまづいたりしても、ちょっとしたことでヒントを得たり、自分なりに工夫して、そこから力強く立ち直っていく。
目的地が曖昧なまま船を出航させるのと同じである。
130キロ台のボールしか投げられないのであれば、どうすればその球速で相手打者を打ち取れるか、「思考」の限界まで考え抜くことが大事。そして130キロ台で勝負できるピッチャーへと、「勇気」を持って今の自分を変えていけばいいのだ。
野村が王貞治の生き方を見ていて思うこと。誰よりも厳しい練習に耐えてきた王は、自分がやってきたことを決して「苦労した」「努力した」などと口にしない。厳しい練習に取り組むことは、王にとって当たり前のことだったからである。
「若いうちの苦労は買ってでもしろ」という言葉があるが、これは若いうちの苦労がブレない生き方を確立するうえで欠かせないものだからだ。
「若いころにさんざん苦労してきた私としては、苦労ほど嫌なものはないことを身にしみてわかっている。しかし一方で、苦労が自分を成長させてきたこともよく知っている」。
たいした苦労もせずに階段をぴょんぴょんと駆け上がることができるウサギとは違い、カメは階段を一段一段上がるごとに苦労に直面する。この苦労を苦労で終わらせずに自分を高めるチャンスに変えることができたとき、カメがウサギに追いつき追い抜く可能性が…
「やらなければ気持ちが悪い」というふうになれば、努力を努力だと感じなくなる。現役時代の張本勲も「夜の素振りは、オレの睡眠薬」と話していた。
プロ入り4年目でホームラン王を獲得。「なんとかプロでやっていけそうだ」と思った矢先、まったく打てなくなった。相手バッテリーから研究されるようになったのだ。技術的限界を感じた野村は、データの活用に活路を見出し(当時の野球界には“データ”という言…
最初は「今日だけ」でいい。「その日1日だけ」努力してみる。そうすれば、「明日もやってみようか」となる。2日やり終えれば、さあ3日目も…。「3日続けば1年続く。1年続けば3年続く」。
24時間、仕事のことばかり考えていられる意志の強い人間にのみ、本物の技術やスキルは身につく。
笑う、頬を緩ませるよりも、歯を食いしばる方が人間を美しく見せることはよくある。
「おい、野村。素振りをやって一流になるんなら、みんな一流になってるよ」。ブルペンキャッチャーの役割しか与えられず、試合にも出られなかった二軍時代。先輩からの飲みの誘いを毎晩のように断り、とにかく素振りをしていた。ある日、二軍監督が選手たち…
「お前は二流はよう打つけど、一流は打てんのう」南海で四番を任された頃、鶴岡一人監督に言われた言葉が重く響いた。当時の一流投手と言えば、西鉄の稲尾和久。「何が何でも一流を打ってやる。稲尾を打ってやる」。稲尾のフォームを16ミリカメラで撮影し、…
南海の二軍時代、毎晩のように先輩から飲みに誘われた。野村はそれを毎晩断り、寮の庭で素振りや筋力トレーニングをやっていた。先輩たちは「野村、素振りをやって一流になるんなら、みんな一流になってるよ」と言い残して、繁華街へと繰り出して行った。「…
南海にテスト生として入団したとき、夢に一歩近づいたと思った。しかし、あとで話を聞いてみると、球団は野村を戦力として見ておらず、練習でピッチャーの球を受けるブルペンキャッチャーとして獲ったのだと知った。野村は愕然としたが、これでは恥ずかしく…
お祭り騒ぎの「楽しい」も楽しいかもしれないが、苦しみが超えたところにある「楽しい」は比べものにならないくらい楽しい。どちらを重視するかは人それぞれだが、野村はやはり後者の「楽しい」を勧めている。
人生には、いくつもの区切りがある。だが、そこで今までの経験やその価値がなくなるわけではない。それを活かすことができるか否かは、自分次第。
だから、ボヤキはネガティブなものではない。理想が高ければ高いほど、ボヤキの頻度が高くなる。