家族愛
親孝行=感謝の心と言える。親孝行は、大成するための必要にして最低限の条件。
努力するということについて、野村は誰にも負けなかった。人の倍以上練習したし、毎夜の素振りも欠かすことはなかった。けれど、「つらい」「苦しい」などとは一切感じなかった。それどころか「楽しい」とさえ思った。なぜなら、忍耐の裏側には「一流になれ…
親に感謝し、恩返しをしたいと思えば、選手として大成し、大金を稼げるようになるしかない。「大成した選手は例外なく親孝行だ」。
「あのとき、母が他界していたら、今の自分は100%なかった。小学2年のときと3年のとき、母は二度ガンに見舞われ、戦前の医学でありながら奇跡的に助かった」。「苦労しながら、病弱な体で頑張りぬいて支えてくれたから、今の私がある」。プロ野球界で選手・…
3歳のとき父が戦死し、母子家庭で貧しい生活を強いられた幼少期だったが、母の愛情に育まれ、たくましく前向きに夢を持って成長したと自負している。大切なのは、形あるものではなく、愛情という無形のもの。
目標を持ち、徹底的に考え続けた結果である。「際立った野球の才能に恵まれなかった私が生き残れたのは、“母に楽をさせてやりたい、兄に恩返しをしたい”という強い意志と目標があったからこそ」。
プロのなる=母親孝行をすることだった。だからこそ、レギュラーになってお金を稼ぎたかった。捕手はレギュラーが一度固定されると、その座はなかなか空かない。野村は大ファンだった巨人を断念し、正捕手が30歳以上の球団を調べて、南海と広島が該当。育成…
ヤクルト監督時代の1997年5月。神宮外苑では濃い紫色のつつじが満開になる。花の美しさを伝えた記者に、野村はその美しさではなく、味で答えた。貧しい少年時代だった。3歳上の兄と新聞配達、アイスキャンディーを売り、子守などをして家計を助けた。新聞配…
野村の“監督”は夫人の沙知代さん。「世界広しと言えども、あの人についていけるのは私だけだと密かに自負している」。2017年12月8日、沙知代さんは85歳でこの世を去った。野村は、二人三脚で人生の荒波を乗り越えてきた最愛の伴侶を失った。
愛妻・沙知代さんは料理上手で、野村の食事はすべて作る。野村の来客の際は、お手伝いさんには何も頼まず、自らお茶やコーヒーを用意するという。そんな沙知代さんについて、野村は「怖い、かわいい」。
照れ屋の野村だが、その野球愛、夫婦愛は深い。2017年12月8日、沙知代さんは85歳でこの世を去った。野村は、二人三脚で人生の荒波を乗り越えてきた最愛の伴侶を失った。