2016-11-26から1日間の記事一覧
1989年のシーズン後、相馬和夫球団社長からヤクルト監督をオファーされたときに実感した。
尊敬する評論家・草柳大蔵からアドバイスされた。心に深く染みこみ、大切にしている言葉。
「生きていくための基本的な知識や情操は家庭や学校ではぐくまれるが、仕事を通じて人生を知り、人間的に成長する」。仕事と人生は直結している。
野球人である前に社会人であれ。
自分を限定しない。まだできる。まだ人生の最高の瞬間は来ていない。
血のにじむ努力を積み重ねながら、いまだに「満足」していない。また「成功した」と言われるのも、言うのも、好きではない。
人生の先輩のパワーを知り、「自分もそろそろ潮時か……?」と戸惑った自分を恥じた。
いくつになっても夢があるのは、自分の可能性を信じているから。
困難な道のりを2つの“気”で踏ん張った。ひとつは、ユーモア。もうひとつは、夢。
あらゆる仕事やプレーを成功させるためには、この3段階をプロセスとして経るべし。
小泉純一郎元首相もよく使う言葉。
人が失ってはいけないものの優先順位。
組織を仕切る仕事において求められるもの。
華やか、派手な服装が大好き。「形」から入ることで「自信」を得ることもある。
「世の中、一人では生きていけない。社会は自分の思い通りに動いてくれない。一人で生きていけない以上、人間関係をうまく作る円滑さや、他人の痛みを知ることを早く身につけさせたい」。
江夏豊を説得した際の言葉。「大リーグを見てみい。これからは絶対に投手は分業制になる。だから、先駆者としてリリーフの分野で革命を起こしてみないか」とリリーフ転向を促した。阪神の大エースだった江夏が南海に移籍した1976年当時、先発&完投がエース…
「君たちはその好きなものを追求して、人生の道と社会の道をつなげていくべきなんだよ」。
1998年9月、そのシーズン限りでヤクルトとの契約が切れ、延長要請もなかったことから、監督退任が決定的となった。プロ野球の第一線から退くと思われた野村への注目度は、一気に低くなった。取材陣や周りの取り巻きも減り、寂しさを感じていた。
人間的な成熟が必要。まずは、一般的な社会論や常識を身につけた社会人であってほしい。野球選手として生きていられる時間は短い。
「正しい努力をせよ」。これこそ、成長を促し、よい変化をもたらす。
向上心の大切さ。「人間、向上心を失ったらおしまいだ」。
1977年、南海を退団したときに感じたこと。屈辱的な監督解任を受けて実感のこもった言葉。
天台宗僧侶で作家の今東光の話を聞いて。
プロセス主義の野村の持論。失敗から何を学ぶか、ムダから何を学ぶか。それが問われる。
限界を越えずに終わるのは、「ただ逃げているのと同じになる」。
データを大切にする野村だが、データや情報を鵜呑みにはしない。分析や評価を通じて、“知識”に変えている。
ピンチをチャンスに変えるのは、まず自分の心。
回り道は“必要な道”である。苦労や悲しみの不遇のときの乗り越え方が、その後の人生でものをいう。
いくら目標があっても、己を知らないと何も始まらない。「自分はどういう存在なのか、認識することが大事」。
「特に日本シリーズの舞台が、一番キャッチャーを成長させる。最低4試合以上あるし、同じ相手と戦うから、キャッチャーは(データ分析などが)大変。記憶、推理、判断が求められる」。