ライバル
「人気とはなにか?」野村は交流のあった上方の喜劇役者・藤山寛美の言葉を思い起こす。「兄貴、“人気”ってどう書きます? “人の気”と書くでしょう。人の気をつかむ、人の気を動かすのは大変なことですよ。“自分の気”と書いて人気と読むなら、それは簡単なこ…
野村の現役時代のライバル“神様”稲尾和久。稲尾の球を受けるときは、構えたミットを動かす必要はなかった。アンパイアにも「稲尾はコントロールがいい」という先入観があり、なおかつボールにキレと伸びがあるから、少々コースを外れても「ストライク」とコ…
それは歴代の名選手を見ればよくわかる。一流選手の共通点として、「よく働き、よく遊ぶ」というのがあった。よく言えば個性的、要するにくせ者、問題児、変わり者がほとんどだ。長嶋茂雄しかり、張本勲しかり、金田正一しかり。人格者として知られている王…
現役時代、シーズン後の日米野球のこと。本来はオフの時期だが、王と長嶋はほぼフル出場した。野村が長嶋に同情すると長嶋はこう答えた。「休もうと思ってないし、休むわけにもいかないんだよ。ノムさん、お客さんはオレたちを見に来てくれているんだ。だか…
野村が王貞治の生き方を見ていて思うこと。誰よりも厳しい練習に耐えてきた王は、自分がやってきたことを決して「苦労した」「努力した」などと口にしない。厳しい練習に取り組むことは、王にとって当たり前のことだったからである。
「お前は二流はよう打つけど、一流は打てんのう」南海で四番を任された頃、鶴岡一人監督に言われた言葉が重く響いた。当時の一流投手と言えば、西鉄の稲尾和久。「何が何でも一流を打ってやる。稲尾を打ってやる」。稲尾のフォームを16ミリカメラで撮影し、…
荒川博のもとで素振りする王貞治を目の当たりにして。ぶら下げた紙を真剣で切る練習をしていた。「すさまじい殺気が漂っていた」。
野村がよく選手に聞いた言葉。「自分は何のために仕事をしているのか。将来どうなりたいのか」という目標、ライバル、イメージをはっきりさせることが非常に大切。
現役時代、野村の“ささやき戦術”は有名だった。バッターボックスに入ってきた打者に、高級クラブで仕入れたその打者の私生活などの情報をささやき、集中力を乱した(耳栓をして打席に入る打者もいたという)。ささやき、ボヤキ、情報戦略の基本は、人間心理…
捕手として、味方投手に何を投げさせようか苦心していた日々、「敵投手の持ち球を、敵の捕手はどう使いこなしているのか、いかなる意図でサインを出しているのか、知ることで優位に立てる」と気づいた。ライバルの立場になることで、思わぬヒントが隠されて…
王貞治について。1973年、通算本塁打563号で王に並ばれ、74年には先に600号を更新された。憧れの巨人で活躍する王は、まぶしい存在だった。
「金田正一、江夏豊、私が受けた杉浦忠、稲尾和久には、打者に向かっていく闘争心があった」。
王貞治や長嶋茂雄、イチローは、自分への挑戦を続けてきた。
1975年5月22日、通算600号本塁打を打ったあとの記者会見での言葉。王貞治に遅れること1年。史上2人目となる600号を決めた。1ヶ月前から会見での言葉を考えていた野村は、自らと王・長嶋を花に例えた。自分を表す花は、故郷・京都の夕方になるとたくさん咲く…
南海時代、苦手にしていた稲尾和久の投球を16ミリカメラで撮影してクセを発見。対戦打率を3割近くまで上げた。だが、南海の同僚でエースの杉浦忠にその話をしたところ、稲尾に伝わってしまい、稲尾はクセを修正してしまった。せっかくのデータ収集、エース攻…
長嶋茂雄へのライバル心は強い。「ライバルは必要。“あいつらには負けたくない”という気持ちやな。オレにとっては長嶋と王」。
王貞治と野村は、現役では本塁打数や打点を争い、監督では優勝回数、日本一の回数で切磋琢磨した。
南海にテスト入団した1年目のオフ、球団から解雇通告を受けた。「もう一年やらせてください。故郷に帰れない。クビなら南海電車に飛び込みます」と泣いて頭を下げた。球団マネージャーは根負けして契約延長が決まったという。再度クビにならないために、直後…
“監督にとって野球とは?”という問いに対して。奇しくも、長嶋茂雄が巨人監督を優待したときの言葉と同じ。
王貞治元ソフトバンク監督を評して。ソフトバンクの選手たちは、王監督を尊敬し、その気持ちを口にしていた。「王監督のために」「王監督を胴上げしたい」など、よいムードが漂っていた。
プロ野球界の法則。「一流は一流を育てる」。