野村克也 名言集

仕事に挫折したとき、組織に悩んだとき、人生に苦しんだとき、昨日を悔いたとき、今日を戸惑うとき、明日が見えないとき… 野村克也の言葉があるじゃないか。ノムさんの人生哲学が凝縮された名言集。

二流・三流

考えることを放棄すると、すべてが幼稚になる

世の中もずいぶんと幼稚な世界になってしまった。政治のこと、経済のこと、日々起こる犯罪など……。野村は、野球とは、仕事とは、人生とは、と自問自答していくことで考えが深まる「とは理論」を説いてきた。考えることを放棄していては、この「幼稚さ」の渦…

君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず

優れた人物は他人と協力し合うが、むやみに群れることをしない。つまらない人物ほど簡単に同調するが、真に他人と理解し合うことがない。

体罰は、指導者の未熟さ以外のなにものでもない

体罰は指導者のエゴでしかなく、暴力でしか自分の考えを伝えられない指導者に共通して言えることは、指導に対するブレない軸を持っていないということ。指導する側とされる側に必要なのは、まず愛情。

何かをしたい者は手段を見つけ、何もしたくない者は言い訳を見つける

失敗したときに言い訳を探すような思考からは、努力や向上心は絶対に生まれてこない。

一流になる人間は、無意識にプラスの暗示をかけている

一流になる人間の特徴のひとつに、どんなことでも「あの人ができるなら自分もできる」と、無意識に自分にプラスの暗示をかけているという点がある。逆に、二流で終わる人間は、「自分はこれくらいできればいい」と自分の能力を限定してしまう。

なんとなく生きている人は、どうしても感性が鈍い

貧しかったり、苦労したりしてきた人は感性が鋭いことが多い。一方で、不自由なく生きてきた人はどうしても感性が鈍いところがある。感性を磨くためには、貪欲な向上心が必要だ。

常にかまわれていると「受け身の人間」になってしまう

何でも与えられ、教えられ、「こうしなさい」と指示を出されれば、そうされるのが当たり前だと何の疑問も抱かず、自分から問題を探し出し、自主的に物事に取り組もうという気など起きるわけがない。依頼心が強ければ強いほど、感性を鈍らせ、思考能力を衰え…

中途半端な安定を手に入れている選手ほど、変わることを怖がるものである

変わることによって一流選手の仲間入りをする可能性よりも、変わったために失敗して、現状よりも状況が悪くなるリスクの方に意識が向くようである。つまり変わる「勇気」が持てないのだ。しかし変わらなければ人は成長しない。

失敗したときに、何も感じることがない人間には先がない

自分の失敗に鈍感な人間ほど、すぐ謝る。

弱いチームというのはたいがい、現場とフロントの意思疎通ができていない

現場は「即戦力のピッチャーが欲しい」と要求しているのに、フロントは人気目当てで甲子園を沸かせた高校生ピッチャーを獲得にいったり、現場が足の速い野手を必要としているにもかかわらず、ろくに走れも守れもしない長距離バッターを獲ってきたりするとい…

失敗をしたとき、なぜ人は言い訳をしたがるのか。失敗と正面から向き合いたくないからである。失敗から逃げ出しているのだ。だから、同じ失敗をまた繰り返す

言い訳をする選手はまず伸びない。特に、リーダーの言い訳は禁物。

人間の最大の悪は何か。それは鈍感である

鈍感な選手は同じ失敗を繰り返す。感性が鈍いから失敗しても失敗と気づけないし、たとえ失敗を自覚しても、なぜそれが起こったかを自己分析できない。

弱いチームは規律が甘い。乱れている。断言してもいい

考え方も氏素性も異なる人間を統率し、同じ目標に向かって進ませていくためには、最低限の秩序やルールが必要。それを無視して各自が勝手に行動すれば、組織はまとまらない。当然、よい仕事もできない。

まったく実力がないにもかかわらず、「自分を見てくれていない」と言ってふてくされるようでは、元から見込みがない

「なんとかして自分を見てもらいたい、認められたい」と願い、「そのためにはどうすればいいのか」と考えるところから、人の成長は始まる。

仕事に対する取り組みがいいかげんな者にかぎって、外見で目立とうとする

仕事に自信がないから、外見で注目を浴びようとする。仕事に自信があれば見た目で目立つ必要はない。

自分をコントロールできなくて、ボールをコントロールできるか!

自分の感情をコントロールできるか否かは、一流と二流の分かれ目のひとつ。

満足・妥協・限定は負のスパイラル

満足してしまえば、「このくらいやればいい」と低いレベルで妥協するようになる。妥協してしまえば、「これ以上は無理だ」と自己限定してしまう。満足が妥協を呼び、妥協が限定を呼ぶのである。そうなれば、もはや成長など期待できない。

「もうダメだ」とあきらめてしまえば、それ以上の成長はない。「どうすればこの状態を突破できるか」と考えることができれば、必ず道は拓ける

一流と二流を分けるもの。それは才能の多寡ではなく、伸び悩んだり、限界に突き当たったりしたときに、どういう態度をとるかだ。

同じ失敗を二度も三度も繰り返す人間は、二流、三流にしかなれない

一流は同じ失敗を繰り返さない。

人間は壁にぶつかると、都合のいい理由を見つけて自分をだまし、納得させ、あるいは逃避する

自分をだまし、相手をだましながら、ピンチをしのぐ。「そこからは決して努力は生まれない」。

弱いチームに長くいると、経験という糧を蓄えることができない

人は悪い環境にいれば、流されてしまうもの。ポジティブな空気、言葉が人を育てる。自信を与える。

弱いから派閥ができるのか、それとも派閥ができるから弱いのか。いずれにせよ、派閥が存在するようなチームが強いわけがない

低迷したチームに必ずあったのが派閥だった。王貞治もダイエー監督に就任した頃、南海時代からの派閥を一掃した。

チームは“仲良し集団”になってはいけない。弱いチームはそうなりがち

V9時代の巨人は、まずいプレーをした選手には、味方からも容赦なく厳しいヤジが飛んだ。

一流は無理でも“超二流”にはなれる

プロに入るほどの素質があれば、野球に対する取り組み方や考え方次第では、そこまで行き着けるもの。

一流選手は修正能力に優れている。同じ過ちを二度繰り返さない

二度繰り返す者は二流、三度繰り返す者は三流。

一流は弁解せず、二流は責任を転嫁する

失敗に対して潔く責任を認め、受け入れること。この強さと客観性が向上心につながり、自己変革のきっかけとなる。

私は中途半端な選手が嫌いだ

「たいした実力もないのに自分はスターだと勘違いしている選手や、周囲から甘やかされて“これでいいんだ”と自己満足している選手」。自己満足ほどやっかいな敵はいない。

「僕ってこういう人間だから」と前置きする若者に、向上したり進歩したりする余地はない

「自己限定」した自分を、周囲に認めさせる。そんな風潮は許せない。

ヌルマ湯に入ると、いつまでも出たくない

自分を律することの厳しさ。生活面で「これくらいやればいいや」と出てしまう。「人間は習慣の動物だから、長い間そうした思考を続けていると、それが必ず仕事の面でも現れてしまう」。

傲慢な人間には、現状維持も伸び率もない。ただ、下降線をたどっていくのみ

「これでいい」「自分はすごい」と思った瞬間から下り坂。