「野村の極意 人生を豊かにする259の言葉」
つまり頭と口。頭脳と言葉である。むさぼるように本を読んだ。人前で話すことは苦手だったが、必死で挑んだ。
70歳で楽天監督の要請があったときに考えたこと。
向上心こそ「考える」きっかけになる。野村は、自分の天性では2割5分が限界だと悟った。そこから「考えに考え抜いて」、自らの技術的限界を超えた。
努力は大切。だが、がむしゃらな努力は見当違い。「優れた才能を持ちながら使い方を間違えたり、自分が向いているのは別の方面なのに、方向違いの努力をしている選手もいる」と警鐘を鳴らす。まずは自分を知ること。向き・不向きなど、自分に対する“適材適所…
何に対して努力をするのかが問われる。「自分自身の能力を知り、それに向かって努力してこそ、道は切り開かれる」。
阪神監督時代、久万俊二郎オーナー(当時)と3時間半会談し、編成部の大改革を迫った。相手が年上でも、大経営者でも、臆することなく発現するのが野村流。チーム改革への情熱、野球に関して譲れないプロ意識が心を突き動かした。
自分をだまし、相手をだましながら、ピンチをしのぐ。「そこからは決して努力は生まれない」。
「自分はこれで精一杯だ、自分の力はもはやここまでだ」と自己限定するのは、低いレベルで「妥協」するから。壁にぶつかると「オレはこんなもんだ」とあきらめて努力しなくなる。「中途半端な選手ほど、この傾向が強い。こんな考えだから、中途半端な選手で…
選手に伝えていること。「どうせ……」と思ったとたん、現状維持どころか、人間の力は落ちていく一方。
選手に頻繁に言う口癖。知力の戦いに厳しさを求めている。
心地よいヌルマ湯に浸かっていれば、いつまでもそのままだ。
まさしく野村の生き方そのもの。常に挑戦し、変化を恐れない。
「その隠れた才能を引き出すこと。年齢や体力に応じた才能の発揮法を、本人に気づかせてチャレンジのチャンスを与えること」。これも監督の使命だと考えている。
そのきっかけを与え、他球団で解雇された選手たちを再生させてきた。
ヤクルト監督就任後、ミーティングなどで、選手の態度から「変わりたい」「向上したい」という意欲をひしひしと感じた。池山隆寛や宮本慎也が後年、「野村監督のおかげで今がある」とテレビや雑誌を通じて発言していることを、心から喜んでいる。
野村には、社会に生きる使命感と同時に、自分を大切にする心がずっとある。それが行動の原動力。
野村には、社会に生きる使命感と同時に、自分を大切にする心がずっとある。それが行動の原動力。
「人間を預かり、動かす地位にいる」。この重さを自覚する者だけが、監督になる資格がある。指導者には言葉が不可欠。
それでは選手には伝わらない。だからこそ、選手には現役時代から「本を読め」とすすめている。
話すことの大切さ。また、相手にわかりやすく伝えるためには言葉を獲得しなければならない。評論家時代の体験を大切にしている。
現役を引退したあと、講演や解説をしたことで、自らの野球に対する思いや考えを「言葉」にする練習ができたと感じている。その成果は、指導者になったとき発揮された。選手に野球理論を説明しやすくなったのだ。
言葉がなくて、自分の考えが伝わるはずがない。「つまり説得力がリーダーの条件のひとつ」。
自信を付けさせる方法。高いレベルの過程が、よりよい結果を生む。「ウチの練習は他と違う」と選手にプライドを持たせること。
緻密な戦略、知力から生まれた戦いこそプロ。
捕手にとって必要なのは観察力、洞察力である。
これを補うのが「観察」。目に見えるものから情報を引き出す力のことである。「洞察」とは目に見えないものを読む力。これの最たるものが心理を見抜く力だと定義する。
野球の本質のひとつ。こんなに“間”の多いスポーツも珍しい。「野球は終わったあとも、具体的に評論できる。これが日本人が野球を好む理由」。
指導者は確固たる意志、毅然とした態度でいること。指導者がブレると、組織は大きく動揺する。
そこから逆算して「今、何が必要で、どういうことをすべきかを的確に判断し、実行する力」が必要。
実戦の中にこそ、適応力や対応力が求められる。練習では結果を出せるが、本番舞台に弱い“稽古横綱”が多いと嘆く。