「理は変革の中に在り」
今も野村は野球について考えることをやめられないでいる。不器用な人間であることを自認し、苦労も絶えなかったが、誰よりも幸せで奥深い野球人生を歩んでこられたと考えている。
野村の長い野球人生の中で最も幸福で充実していたのが、ヤクルトの監督を務めた9年間だった。相馬和夫球団社長は野村を全面的に信頼し、もしも野村が失敗した場合はすべての責任を取ると言い放ち、その姿勢を貫いた。その信頼関係の下、野村は安心して自身の…
広島から阪神に移籍した金本知憲が好例。金本の加入は「中心」のなかったタイガースという組織に「中心」をもたらした。どんな状態でも試合を休まない金本が入ってきたことで、他の選手たちも甘えが許されなくなった。
現役時代、シーズン後の日米野球のこと。本来はオフの時期だが、王と長嶋はほぼフル出場した。野村が長嶋に同情すると長嶋はこう答えた。「休もうと思ってないし、休むわけにもいかないんだよ。ノムさん、お客さんはオレたちを見に来てくれているんだ。だか…
個の力が揃ったチームも「勝つ」ことはできるが、「勝ち続ける」ことは難しい。団体競技で「勝ち続ける」ためには、フロント・選手を含めたチームの一体感が必要。弱いチームの共通点は「一体感に乏しい」こと。
何だ、当たり前じゃないかと思われるかもしれない。しかし野村はこの「当たり前のこと」を選手に浸透させるために、監督として大変な苦労をしてきた。
目的地が曖昧なまま船を出航させるのと同じである。
現役引退後、評論家としての初めての講演会。前日に内容を3枚のメモにしたためて本番に臨んだが、持ち時間の3分の1で話が尽きてしまった。もともと人前で話すことに苦手意識を持っていた野村は茫然自失となり、スケジュール調整をしてくれていた妻・沙知代さ…
キャッチャーは他のポジションと違い、レギュラーのイスがひとつしかない。野村は、「出場機会が得られそうなチーム」という観点で、入団テストを受ける球団を選んだ。「もし、憧れのジャイアンツのテストを受けて入団していたら、森祇晶との正捕手争いに敗…
ピッチャーが好投手であるために、創意工夫をしなくても勝てるのならキャッチャーとしてこれほど楽なことはないが、楽をすれば進歩もなくなる。反対に、弱小投手陣でマスクをかぶるのは苦労が絶えないが、その苦労が人を進歩させるのだ。
人は環境によって人生を左右される生き物。だからこそ己の身を投じる環境は、慎重に選ぶべき。「自分を成長させてくれそうな場所」や「自分の可能性を伸ばせそうな場所」を選ぶことが大切。
南海でのプレーイング・マネージャー時代、キャンプでの全体ミーティングで、選手のスリッパの脱ぎ方をポジション別に観察したときのこと。「いかにもキャッチャーらしいな」と野村は思った。ピッチャーをリードしながら配球を考えなくてはいけないキャッチ…
監督は選手を采配し、キャッチャーはピッチャーをリードする。だが、自分の意図どおりに動いてくれるとは限らない。ままならないことが多い中で、キャッチャーはピッチャーや他の選手をうまくリードしながら守り抜かなければならない。だから、監督を務める…
野村の現役時代、元大リーガーのブレイザーが南海に入団した。日本の野球が遅れていることを自覚し、メジャーの野球に強い興味を抱いていた野村にとって、ブレイザーの野球理論は目から鱗が落ちる思いだった。野村の野球観はブレイザーと出会ったことで急速…
芸道の世界に「守破離」という言葉がある。まずは模倣から入り<守>、そこに自分なりの「型」を加え<破>、最後に独自の技に磨き上げていく<離>ことが大切。
現代のプロ野球は練習設備が整い、プロの世界に足を踏み込んだときからコーチが手取り足取り指導してくれる。だが、一歩間違えれば、その恵まれた環境が選手の自主性や考える力を奪うことにつながる。過保護な親が子どもをダメにするのと同じ。
変わることによって一流選手の仲間入りをする可能性よりも、変わったために失敗して、現状よりも状況が悪くなるリスクの方に意識が向くようである。つまり変わる「勇気」が持てないのだ。しかし変わらなければ人は成長しない。
凡人は素質だけでは勝負できない。必ず壁にぶち当たる。苦労をする。だからこそ己が生きる道を必死で考え、変わることができるのである。
130キロ台のボールしか投げられないのであれば、どうすればその球速で相手打者を打ち取れるか、「思考」の限界まで考え抜くことが大事。そして130キロ台で勝負できるピッチャーへと、「勇気」を持って今の自分を変えていけばいいのだ。
野村が王貞治の生き方を見ていて思うこと。誰よりも厳しい練習に耐えてきた王は、自分がやってきたことを決して「苦労した」「努力した」などと口にしない。厳しい練習に取り組むことは、王にとって当たり前のことだったからである。
「若いうちの苦労は買ってでもしろ」という言葉があるが、これは若いうちの苦労がブレない生き方を確立するうえで欠かせないものだからだ。
「若いころにさんざん苦労してきた私としては、苦労ほど嫌なものはないことを身にしみてわかっている。しかし一方で、苦労が自分を成長させてきたこともよく知っている」。
たいした苦労もせずに階段をぴょんぴょんと駆け上がることができるウサギとは違い、カメは階段を一段一段上がるごとに苦労に直面する。この苦労を苦労で終わらせずに自分を高めるチャンスに変えることができたとき、カメがウサギに追いつき追い抜く可能性が…