「野村の流儀 人生の教えとなる257の言葉」
いくつになっても夢があるのは、自分の可能性を信じているから。
困難な道のりを2つの“気”で踏ん張った。ひとつは、ユーモア。もうひとつは、夢。
あらゆる仕事やプレーを成功させるためには、この3段階をプロセスとして経るべし。
小泉純一郎元首相もよく使う言葉。
人が失ってはいけないものの優先順位。
組織を仕切る仕事において求められるもの。
華やか、派手な服装が大好き。「形」から入ることで「自信」を得ることもある。
「世の中、一人では生きていけない。社会は自分の思い通りに動いてくれない。一人で生きていけない以上、人間関係をうまく作る円滑さや、他人の痛みを知ることを早く身につけさせたい」。
江夏豊を説得した際の言葉。「大リーグを見てみい。これからは絶対に投手は分業制になる。だから、先駆者としてリリーフの分野で革命を起こしてみないか」とリリーフ転向を促した。阪神の大エースだった江夏が南海に移籍した1976年当時、先発&完投がエース…
「君たちはその好きなものを追求して、人生の道と社会の道をつなげていくべきなんだよ」。
1998年9月、そのシーズン限りでヤクルトとの契約が切れ、延長要請もなかったことから、監督退任が決定的となった。プロ野球の第一線から退くと思われた野村への注目度は、一気に低くなった。取材陣や周りの取り巻きも減り、寂しさを感じていた。
人間的な成熟が必要。まずは、一般的な社会論や常識を身につけた社会人であってほしい。野球選手として生きていられる時間は短い。
「正しい努力をせよ」。これこそ、成長を促し、よい変化をもたらす。
向上心の大切さ。「人間、向上心を失ったらおしまいだ」。
1977年、南海を退団したときに感じたこと。屈辱的な監督解任を受けて実感のこもった言葉。
天台宗僧侶で作家の今東光の話を聞いて。
プロセス主義の野村の持論。失敗から何を学ぶか、ムダから何を学ぶか。それが問われる。
限界を越えずに終わるのは、「ただ逃げているのと同じになる」。
データを大切にする野村だが、データや情報を鵜呑みにはしない。分析や評価を通じて、“知識”に変えている。
ピンチをチャンスに変えるのは、まず自分の心。
回り道は“必要な道”である。苦労や悲しみの不遇のときの乗り越え方が、その後の人生でものをいう。
いくら目標があっても、己を知らないと何も始まらない。「自分はどういう存在なのか、認識することが大事」。
「特に日本シリーズの舞台が、一番キャッチャーを成長させる。最低4試合以上あるし、同じ相手と戦うから、キャッチャーは(データ分析などが)大変。記憶、推理、判断が求められる」。
意識を持つことで、夢や目標が明確になる。
その態度や発言をするのは、もう許されないという年齢は確かに存在する。
野球は人生の縮図。野球は人生そのもの。だからこそ、野球をするにあたって、明確な「こうありたい」という人生観がないといけない。
「人生を生き抜く上でなくてはならないエンジンとは、理想、情熱、信念」
1975年5月22日、通算600号本塁打を打ったあとの記者会見での言葉。王貞治に遅れること1年。史上2人目となる600号を決めた。1ヶ月前から会見での言葉を考えていた野村は、自らと王・長嶋を花に例えた。自分を表す花は、故郷・京都の夕方になるとたくさん咲く…
慣れのすぐ近くに慢心がある。
便利なものに頼りすぎる者は弱い。不便なものは使えない。器用に何でもこなす者も、いざというピンチで対応できないことがある。不器用な人間は、それを克服する努力を積み重ねたとき、底力を発揮する。