無形の力
いまでも野村は、見抜く力、読み取る力にかけては、大方の現役選手に負けない自信がある。プロ野球の世界で全神経を集中して、何十年もクセを見抜く訓練を続けてきたのだから、そこらの選手とは見えるものがちがうのだ。キャリアは嘘をつかない。そこには、…
家族やふるさと、国を愛せない人間に「チームを優先させる」ことはできない。1、2点リードされた終盤に、先頭打者がすべきことは、可能な限りピッチャーに余計な玉を投げさせ、勝利への執念を見せること。それが相手バッテリーやベンチにプレッシャーをかけ…
本質を捉えるには「観る」目が必要。「見る」は目で見ることだが、「観る」は心で見ることを言う。「見る」は表面的なものだが、「観る」は状況を判断するために意識してものを見るという深さがある。いわゆる「観見二眼」というものだが、これはスポーツだ…
「見る」とは、目の前にあることを捉えること。「観る」とは、相手の心の動きを察すること。相手や状況を「観る」ことで、深みのある思考が可能になる、
どのチームにおいても野村が真っ先に行ったのが「意識改革」「選手に気づきを与えること」。
ヤクルト監督時代、優勝を決めたあと、消化試合でBクラスのチームと対戦した。そのチームの選手は野村の顔を見ても「こんにちは」と言うだけだった。そのあと巨人の選手と会うと、皆が口々に「おめでとうございます」と言ってくれた。「さすがは巨人だな……」…
投げる・打つ・走るという目に見える「有形の力」には限界がある。しかし、観察力、洞察力、判断力、決断力、記憶力。データを収集・分析して活用する力。さらに深い思考と確固たる哲学……これら目に見えない「無形の力」は無限である。磨けば磨くほど、鋭く…
緻密な戦略、知力から生まれた戦いこそプロ。
これを補うのが「観察」。目に見えるものから情報を引き出す力のことである。「洞察」とは目に見えないものを読む力。これの最たるものが心理を見抜く力だと定義する。
川上哲治監督が率いるV9時代の巨人こそ、野村の理想のチーム。「自分たちこそ球界の盟主、プロ野球を牽引している」というプライドが見えたという。
形に表せない力こそが大切。それを実感できるか。
3歳のとき父が戦死し、母子家庭で貧しい生活を強いられた幼少期だったが、母の愛情に育まれ、たくましく前向きに夢を持って成長したと自負している。大切なのは、形あるものではなく、愛情という無形のもの。
1963年に当時の日本新記録となる52号本塁打を放った試合を振り返って。「第六感」と「ヤマ勘」は違う。第六感は執念のヒラメキ。
「我々は結果主義。よい結果を出すためには、どれだけの準備をしたか、で決まる」。
優勝やタイトルという好結果が、そのチームに自信と誇りをもたらし、熟成されると、風格になっていく。それこそが伝統の重みであり、V9時代の巨人がこれにあたる。
「考えるスポーツである野球において、感じなければ、話にならん。成長しない」。
「カン」という漢字の種類はたくさんある。野村は辞書を引いてみて気づいた。「全部異なる意味やけど、全部野球に必要なこと」。
闘志、やる気があるからこそ、人は大きな目標に向かえる。
チームが強いと、チーム愛は自然と育つ。勝つことで結束が強まる。
勝利に対する野村の考え。イギリスのことわざにも「ダービーは常に強い馬が勝つ。だが、いちばん強い馬が勝つとは限らない」というものがある。
王貞治元ソフトバンク監督を評して。ソフトバンクの選手たちは、王監督を尊敬し、その気持ちを口にしていた。「王監督のために」「王監督を胴上げしたい」など、よいムードが漂っていた。
集団を強くする要素。「愛情を育てればチームは強くなる。プライドとは、恥を知ることから生まれる」。
田中将大のプロ入り1年目、ノックアウトは食らうのだが、不思議と「負け」がつかない田中を評して。点を取られて降板したあと、打線が盛り返して逆転し、田中の「負け」を消してしまう。野球の神様が味方しているから「神の子」。
頭で理解するのではなく、心と体に覚えこませる。そこに到達したとき、試合という舞台で、平常心で力を発揮できる。
二桁勝利投手や3割打者などの「有形の力」ではなく、努力やその過程など大切な「無形の力」をいつ認識するかが、「プロ」として歩む本当の道につながる。