「野生の教育論──闘争心と教養をどう磨くか」
失敗ほど人を成長させるものはない。どうして失敗したのか、何がいけなかったのか。欠点や弱点を克服するために、頭を使い、知恵を振り絞り、創意工夫する。その試行錯誤の過程で、人は成長するのである。
躾(しつけ)の目的は、自分で自分を支配できる人間、すなわちセルフコントロールができる人間をつくることにある。自分で自分をコントロールできてはじめて、人間は何がしかの物事を成すことができる。
何でも与えられ、教えられ、「こうしなさい」と指示を出されれば、そうされるのが当たり前だと何の疑問も抱かず、自分から問題を探し出し、自主的に物事に取り組もうという気など起きるわけがない。依頼心が強ければ強いほど、感性を鈍らせ、思考能力を衰え…
コントロールに不安がある投手なら、「最低5球続けてコースに投げられるまでは練習をやめない」というように、自分なりの課題を課しながら練習を行うべきなのに、たいがいの選手はそこに気がついていない。何の工夫もせず、ノルマをこなすかのように漠然と投…
1990年2月、野村がヤクルトの監督に就任してはじめてのユマキャンプ。全選手を集めたミーティングで、野村は野球の技術論・戦術論の話を一切せず、人間として生きる上での人生訓を選手たちに説いた。身体を動かしての技術の習得も非常に大切だが、その選手が…
限界を感じたところでいかに刺激するか。あと一歩の努力をするかしないかで人生は決まる。
限界を知るから、超えようとする。限界を感じたときに貪欲さがあるか。この貪欲さがプロ意識である。
「実行力を妨げる要因は3つある。必要性の認識がないこと。失敗の恐怖が働くこと。そしてプライドが高く、それが邪魔することである」
野村の現役時代のライバル“神様”稲尾和久。稲尾の球を受けるときは、構えたミットを動かす必要はなかった。アンパイアにも「稲尾はコントロールがいい」という先入観があり、なおかつボールにキレと伸びがあるから、少々コースを外れても「ストライク」とコ…
それは歴代の名選手を見ればよくわかる。一流選手の共通点として、「よく働き、よく遊ぶ」というのがあった。よく言えば個性的、要するにくせ者、問題児、変わり者がほとんどだ。長嶋茂雄しかり、張本勲しかり、金田正一しかり。人格者として知られている王…
闘争心と教養は、お互いを補完し合う関係にある。
プロ1年目のオフ、テスト生だった野村は南海から解雇通告を受けた。なんとかクビだけは免れたが、プロの厳しい生存競争を勝ち残っていくためには、なりふりかまってはいられない。恥ずかしいとか、みっともないとか、怖いといった羞恥心も恐怖心もなくなっ…
野村が監督に就任したときのヤクルトは9年連続Bクラス。人気も実力も、同じ東京を本拠地とする巨人に大きく水を開けられていたが、選手たちはその悔しさを前面に出すどころか、諦めてしまっているように見えた。だから、ことあるごとに選手たちを叱咤し、他…
野村の言う野生とは、「気合や根性があればなんとかなる、事足りる」という体育会的な単純なものではない。さらなる向上心や探究心、チャレンジ意欲を促し、引き出すための野生である。野生のスイッチが入りさえすれば、つまり、消えかかっている闘争心や負…
「気合だ!」「気合が足らん」現役時代、そう叱咤されるたびに、野村は釈然としない気持ちになった。「プロとして、そんなレベルの低いことでいいのか」と。気力や体力などというものは、プロとして持っていて当然。それを強調しなければならないようでは、…