1975年5月22日、通算600号本塁打を打ったあとの記者会見での言葉。王貞治に遅れること1年。史上2人目となる600号を決めた。1ヶ月前から会見での言葉を考えていた野村は、自らと王・長嶋を花に例えた。自分を表す花は、故郷・京都の夕方になるとたくさん咲く、黄色く小さい月見草。野村少年は畑仕事やアルバイトの帰り道、「綺麗だけど地味。夜に咲いても誰も見ないのに…」と思った。それを自分に重ね、妻・沙知代さんに「月見草が陰だとしたら、光り輝く花は何だ」と尋ねたところ「向日葵」と即答し、この言葉が生まれた。
- p.245
- 作者:野村克也
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