努力とは
「ちなみに私は入団2年目の終わりから3年目にかけて、その時期だった。24時間、野球しか考えていなかった」。
センスとは「感じる、考える」ことで磨かれる。監督やコーチは、本人の資質にプラス思考のアドバイスを送ること。指導者の役割は“気づかせ屋”。
「苦しいことを苦と思わない。それを楽しいと思えるほど野球が好き。苦しみも冷静に考えれば“楽しい”と思う瞬間がある」。最近「試合を楽しむ」「勝負を楽しむ」という言葉を安易に使うスポーツ選手が多いことについての苦言。「“楽しい”という言葉を間違っ…
人は、他人の評価で価値が決まるもの。自分自身を絶賛していては、真の価値を見失う。
プロ野球の一員として南海に入団したときに感じたこと。レギュラー選手との差を実感した。だが、自らの不足に目を背けず、ひたむきにあきらめず頑張り続けた。
天性と感性だけで生きる人には哲学はないと思うがゆえ、「天才に言葉はない。天才に哲学なし」とも言い切った。
プロに入るほどの素質があれば、野球に対する取り組み方や考え方次第では、そこまで行き着けるもの。
テスト生だった野村が三冠王を獲るまで成功した理由。相手投手や捕手の配球を分析したり、16ミリカメラを使ってクセを発見したりしてデータ化した。ノート数十冊分にもなった。当時は“データ分析”という言葉はなく、“傾向”と呼んでいた。
野村はドラフトで南海に入団したわけではない。テスト生として入団し、二軍の試合にも出してもらえない立場だった。「契約選手が100本素振りをするなら、テスト生上がりのオレは200本振る、の精神でやってきた」。
テスト生として南海に入団。二軍の試合にすら出してもらえない立場だった。「二軍監督に目を向けさせるには、練習で目立つしかない。ここで終わらない」。
チャンスが少ない立場だとはわかっていた。だが、マイナスの境遇を言い訳にするか、バネにするか。そこに光を見出すか。
レギュラー出場するようになった若手時代、打ち込まれてベンチに戻ると、南海・鶴岡一人監督から叱責された。配球などを質問しても「勉強せい!」と突き放されて、途方に暮れた。
みな「結果がすべて」と言うくせに、その裏にあるプロセスを重視しない、と感じている。野村は「プロセス」重視主義。結果よりも過程に重きを置く。だが、「結果」を軽んじているのではない。「真の意味で“結果”を追い求めるなら、やるべきことをやらないと…
努力に即効性はない。いつ成果が現れるかもわからない。努力の人も、決して楽しみながらやっていたわけではない。いつ成果が出るのか、いったい成果は本当に出るのか、不安にもがきながら、積み重ねていた。そして、今こそ言える。「努力には必ずいつか成果…
目標を持ち、徹底的に考え続けた結果である。「際立った野球の才能に恵まれなかった私が生き残れたのは、“母に楽をさせてやりたい、兄に恩返しをしたい”という強い意志と目標があったからこそ」。
王貞治や長嶋茂雄、イチローは、自分への挑戦を続けてきた。
タイトルを獲る素質を持った選手が、3年でタイトルが獲れなければ、幸運がない限りタイトルは獲れないとする「タイトル3年以内論」に対して。
野村の基本哲学。プロセス主義である。「大昔から選手に伝え続けていること」。
他者と差があるのに“見て見ぬふり”を続けていると「そのうち自分のアイデンティティさえ失う。勝者と敗者の分岐点もそこにある」。
天才と称される長嶋茂雄もイチローも、人の何倍も努力して今の地位を築いた。レギュラーになっていく選手は「努力を続けることができる。結果が出たことに対して興味が沸き、それが好奇心へと発展するから、好循環が生まれる」。
血のにじむ努力を積み重ねながら、いまだに「満足」していない。また「成功した」と言われるのも、言うのも、好きではない。
「正しい努力をせよ」。これこそ、成長を促し、よい変化をもたらす。
プロセス主義の野村の持論。失敗から何を学ぶか、ムダから何を学ぶか。それが問われる。
限界を越えずに終わるのは、「ただ逃げているのと同じになる」。
意識を持つことで、夢や目標が明確になる。
27年間の現役生活を振り返って。
小さいときには貧乏、プロに入ったときはテスト生、レギュラー時代は華やかなセ・リーグに対して「劣等感」を持つことで、より高みを目指した。
1963年に当時の日本新記録となる52号本塁打を放った試合を振り返って。「第六感」と「ヤマ勘」は違う。第六感は執念のヒラメキ。
「自分は不器用だから、人が100回素振りをすれば、200回、300回やらなければならない、と言い聞かせてやってきた。それだけに不器用な人間の苦労もわかるつもりだし、逆に器用に生きようとする人たちの弱さも見てきた」。
野村の人生訓。現役引退後、解説や講演の依頼が殺到。ところが、元来口べたな野村は自信を失いかけた。尊敬する評論家・草柳大蔵に相談し、「いい評論、いい解説をしていれば必ず誰かが見て、評価してくれる。だから絶対に手を抜いてはいけません」と諭され…