野村克也 名言集

仕事に挫折したとき、組織に悩んだとき、人生に苦しんだとき… 野村克也の言葉があるじゃないか。ノムさんの人生哲学が凝縮された名言集。

努力とは

ある時期、寝ても覚めても野球のことばかり考えていなければならない「基礎づくり」の時期がある

「ちなみに私は入団2年目の終わりから3年目にかけて、その時期だった。24時間、野球しか考えていなかった」。

努力しても結果が伴わないことはいくらでもある。努力するにもセンスが必要

センスとは「感じる、考える」ことで磨かれる。監督やコーチは、本人の資質にプラス思考のアドバイスを送ること。指導者の役割は“気づかせ屋”。

「楽しむ」という言葉の本当の意味とは、悩んだり苦しんだりすること

「苦しいことを苦と思わない。それを楽しいと思えるほど野球が好き。苦しみも冷静に考えれば“楽しい”と思う瞬間がある」。最近「試合を楽しむ」「勝負を楽しむ」という言葉を安易に使うスポーツ選手が多いことについての苦言。「“楽しい”という言葉を間違っ…

「私はかつて苦労したから、今の自分がある」などと自画自賛している人に、本当に苦労した人はいない

人は、他人の評価で価値が決まるもの。自分自身を絶賛していては、真の価値を見失う。

プロとは、自分の才能だけではとうてい追いつくことのできない、恐ろしい世界

プロ野球の一員として南海に入団したときに感じたこと。レギュラー選手との差を実感した。だが、自らの不足に目を背けず、ひたむきにあきらめず頑張り続けた。

哲学は苦しみから生まれる

天性と感性だけで生きる人には哲学はないと思うがゆえ、「天才に言葉はない。天才に哲学なし」とも言い切った。

一流は無理でも“超二流”にはなれる

プロに入るほどの素質があれば、野球に対する取り組み方や考え方次第では、そこまで行き着けるもの。

不器用な自分が“技術的限界”を感じて必死でたどり着いたのがデータを活かす道

テスト生だった野村が三冠王を獲るまで成功した理由。相手投手や捕手の配球を分析したり、16ミリカメラを使ってクセを発見したりしてデータ化した。ノート数十冊分にもなった。当時は“データ分析”という言葉はなく、“傾向”と呼んでいた。

死に物狂いで練習すればなんとかなる

野村はドラフトで南海に入団したわけではない。テスト生として入団し、二軍の試合にも出してもらえない立場だった。「契約選手が100本素振りをするなら、テスト生上がりのオレは200本振る、の精神でやってきた」。

人の3倍も4倍も努力して、死に物狂いでチャンスをつかんだ

テスト生として南海に入団。二軍の試合にすら出してもらえない立場だった。「二軍監督に目を向けさせるには、練習で目立つしかない。ここで終わらない」。

テスト生だろうと、入団してしまえばあとは実力の世界。チャンスがゼロということは絶対にない

チャンスが少ない立場だとはわかっていた。だが、マイナスの境遇を言い訳にするか、バネにするか。そこに光を見出すか。

誰にも頼ることはできない。自分の頭で考えていくしかないんだ

レギュラー出場するようになった若手時代、打ち込まれてベンチに戻ると、南海・鶴岡一人監督から叱責された。配球などを質問しても「勉強せい!」と突き放されて、途方に暮れた。

結果が欲しければ欲しいほど、そこに至るまでの内容を第一義に考えなくてはならない

みな「結果がすべて」と言うくせに、その裏にあるプロセスを重視しない、と感じている。野村は「プロセス」重視主義。結果よりも過程に重きを置く。だが、「結果」を軽んじているのではない。「真の意味で“結果”を追い求めるなら、やるべきことをやらないと…

単純な作業を続けることは簡単ではない。素振りなんて面白くもなんともない。ただ辛いだけ

努力に即効性はない。いつ成果が現れるかもわからない。努力の人も、決して楽しみながらやっていたわけではない。いつ成果が出るのか、いったい成果は本当に出るのか、不安にもがきながら、積み重ねていた。そして、今こそ言える。「努力には必ずいつか成果…

三冠王が獲れるほどの選手になれたのは、明確な目標があったから

目標を持ち、徹底的に考え続けた結果である。「際立った野球の才能に恵まれなかった私が生き残れたのは、“母に楽をさせてやりたい、兄に恩返しをしたい”という強い意志と目標があったからこそ」。

天才が努力するから、手が届かない所へ行ってしまう

王貞治や長嶋茂雄、イチローは、自分への挑戦を続けてきた。

若いときに学んだ経験や学習はあとになってじわじわと、効果を表す。逆にその苦労をしなかった選手、考えなかった選手はベテランになってからも同じ過ちを繰り返す

タイトルを獲る素質を持った選手が、3年でタイトルが獲れなければ、幸運がない限りタイトルは獲れないとする「タイトル3年以内論」に対して。

人間は成功すること(結果)より、努力すること(過程)に意義がある

野村の基本哲学。プロセス主義である。「大昔から選手に伝え続けていること」。

人間は他者との差や違いで勝負する存在

他者と差があるのに“見て見ぬふり”を続けていると「そのうち自分のアイデンティティさえ失う。勝者と敗者の分岐点もそこにある」。

人間社会において天才型は一握り。天才も、その才能だけで成功を収める者はいない

天才と称される長嶋茂雄もイチローも、人の何倍も努力して今の地位を築いた。レギュラーになっていく選手は「努力を続けることができる。結果が出たことに対して興味が沸き、それが好奇心へと発展するから、好循環が生まれる」。

“努力した”と言われたり、自分で言うのも、好きじゃないんや…。プロとして、努力をするなんて当たり前のことやからな

血のにじむ努力を積み重ねながら、いまだに「満足」していない。また「成功した」と言われるのも、言うのも、好きではない。

努力は大切である。が、それだけでは大きな成果が得られるとは限らない。肝心なのは、正しい努力をしているかどうかだ

「正しい努力をせよ」。これこそ、成長を促し、よい変化をもたらす。

進歩の過程にムダはつきもの。ムダには2種類ある。ひとつは文字どおりのムダ。やって空しい努力、やらなかった方がよい努力がこれだ。もうひとつは、一見ムダに見えるけれども、時間の経過とともに役立つムダ。これを目指すべき

プロセス主義の野村の持論。失敗から何を学ぶか、ムダから何を学ぶか。それが問われる。

「やるだけのことはやった」というのは、限界を越えたあと、どれだけやったかということではないでしょうか

限界を越えずに終わるのは、「ただ逃げているのと同じになる」。

「どうするか」を考えない人に、「どうなるか」は見えない

意識を持つことで、夢や目標が明確になる。

恥をかき続けた27年間を終わってみて、「人間は、恥ずかしさという思いに比例して進歩するものだ」と、気がついた。それが「修行」。「恥ずかしい」と感じることから進歩は始まる

27年間の現役生活を振り返って。

一段階、また一段階と登っていく過程で、私は劣等感をバネにしてきた

小さいときには貧乏、プロに入ったときはテスト生、レギュラー時代は華やかなセ・リーグに対して「劣等感」を持つことで、より高みを目指した。

“勘”というと一般的になんとなく曖昧なもののように思われるけど、習練を積み重ねたところから生まれる“勘”というものは、科学も及ばない正確性、適格性を持っている。そこに人間の習練の尊さというものがある

1963年に当時の日本新記録となる52号本塁打を放った試合を振り返って。「第六感」と「ヤマ勘」は違う。第六感は執念のヒラメキ。

不器用を恥じることはない。不器用なことを認識していれば、熱心に研究するし、対策を考える

「自分は不器用だから、人が100回素振りをすれば、200回、300回やらなければならない、と言い聞かせてやってきた。それだけに不器用な人間の苦労もわかるつもりだし、逆に器用に生きようとする人たちの弱さも見てきた」。

見てくれない人(批判する人・無視する人)が1000人いれば、見ている人(評価してくれる人・気にかけてくれる人)も1000人いるものや

野村の人生訓。現役引退後、解説や講演の依頼が殺到。ところが、元来口べたな野村は自信を失いかけた。尊敬する評論家・草柳大蔵に相談し、「いい評論、いい解説をしていれば必ず誰かが見て、評価してくれる。だから絶対に手を抜いてはいけません」と諭され…