野村克也 名言集

仕事に挫折したとき、組織に悩んだとき、人生に苦しんだとき… 野村克也の言葉があるじゃないか。ノムさんの人生哲学が凝縮された名言集。

感性は生きる力なり

ボール球の必要性を認識しろ

全力投球で真っ向勝負することだけがプロの勝負ではない。「全知全能を使ってこそ、プロの戦い。ボール球の効用を理解してこそ、名バッテリーと言える」。

“記憶”から始まり、打者“分析”をして試合に臨み、”観察”や“洞察力”を通して、“判断”したあとに、“決断”する

捕手の条件。セオリーどおりではダメ。ときには奇策を交えないといけない。

捕手は「疑い屋」であれ

相手打者が「いい球を見逃す」「いいバッティングをする」「誘い球に手を出してこない」。捕手はそこで「なぜ?」と考える。「一球一球が、なぜ?なぜ?の連続である。捕手は細かい情報が欲しいのだ」。

捕手というのは裏街道の好きな人種。人の裏をかいてよい結果を出すことに快感を覚える

配球には、捕手の特徴、性格がよく反映されるという。

自分が他者より優れている部分はどこなのか。それに気づいたらどうやって才能を磨いていけばいいのか、よくわかる

歴史に名を残すプレイヤーは、自分という“商品”を客観的に「感じる」「見抜く」。

一流とは、より多くの疑問を抱き、失敗からたくさんのことを学び取る能力に優れた人間

自らが経験し、考える。これが一流への階段を上がることにつながる。

人生の半分以上が残っているのに、大半の選手がクビになってからあわてるんだよ

「引退後を生きるために、今日を生きるべきだ。とりあえず、本を読むことから始めてみろ」。

一人で練習すると、自然に「考える」ことが発生する。「何をどうするのか」「本当にこれでいいのか」工夫し、自問自答する。それが勝負のための必須条件とも言える「読み」を育ててくれる

工夫することで、きっかけ、変化が生まれる。

他人の目を無条件で信じてはいけない。情報は自分の目で確認しなければならない

データを大切にする野村だが、データや情報を鵜呑みにはしない。分析や評価を通じて、“知識”に変えている。

貴い知識・本質はいつの世でも、本来、単純明快である

野村が“本の虫”である理由。

“勘”というと一般的になんとなく曖昧なもののように思われるけど、習練を積み重ねたところから生まれる“勘”というものは、科学も及ばない正確性、適格性を持っている。そこに人間の習練の尊さというものがある

1963年に当時の日本新記録となる52号本塁打を放った試合を振り返って。「第六感」と「ヤマ勘」は違う。第六感は執念のヒラメキ。

感性は執念と向上心から湧き出る

野球をやる上で、野村は「感性」を重要視している。これは生きる上で必要不可欠なことでもあるという。感じる心がない、薄い人は、どの世界でも疎まれる。

感性は生きる力なり。感性なくして人間は生きられない

「感性を磨くには、感動体験を味わうこと。できる限り本物、一級品、最高級のものに接すること」。

本当は新庄にキャッチャーをさせたかったんや

「身体能力に優れた新庄に、配球とは何か、相手がどんなリードをしてくるのかを体験の中で知って欲しかった。新庄は考える習慣に欠けていたから。でも、キャッチャーをやらせると嫌がると思ったから、ピッチャーをやらせたんだよ」。

感じる人間が勝ちを制する。感じないことは罪であり、鈍感は人間最大の悪

「考えるスポーツである野球において、感じなければ、話にならん。成長しない」。

ピーンとくる勘と、感性が働いてのヤマカン、そして全体を判断するところから生まれる観。この3つの「カン」を養うことで、喜びという「歓」がもたらされる

「カン」という漢字の種類はたくさんある。野村は辞書を引いてみて気づいた。「全部異なる意味やけど、全部野球に必要なこと」。

データはゴミにも薬にもなる

データを取る側、受ける側の考え方ひとつである。

大事なのは予測能力。「読み」である。私に言わせると、「読み」は ①見る ②知る ③疑う ④決める ⑤謀る の五つの段階から成り立っている。この能力を身につけられるかどうかは、「他人よりいかに多く感じる力に優れているか」にかかっている

野村は「感性」の力を信じている。それを磨くためにあらゆる本を読み、さまざまな人の話を聴きに行く。

「平常心」を高めるためには、熱意がいる。それを選手に観念でなく、感覚で捉えてもらう

頭で理解するのではなく、心と体に覚えこませる。そこに到達したとき、試合という舞台で、平常心で力を発揮できる。