人生の原則
「予」は「あらかじめ」と読む。あらかじめ感じ、あらかじめ想像し、あらかじめ測り、あらかじめ防ぐ……ただ漠然と日々を過ごすのではなく、常に「予」を大切にし念頭に置いていれば、おのずと正しいプロセスをたどることになる。
時間は誰にでも平等に与えられている。目的を持って過ごすのも、無為に過ごすのも自由だ。しかし、その使い方によって生じる結果は大きく変わってくる。決して平等ではないのだ。
礼儀が身についていない人間は社会で相手にされない。逆に言えば、礼儀さえきちんとわきまえていれば、社会に出ても最低限困ることはない。憲法を知らなくても生きていけるけれど、礼儀を知らなければ生きていくのは難しい。
阪神監督時代、久万俊二郎オーナー(当時)と3時間半会談し、編成部の大改革を迫った。相手が年上でも、大経営者でも、臆することなく発現するのが野村流。チーム改革への情熱、野球に関して譲れないプロ意識が心を突き動かした。
心地よいヌルマ湯に浸かっていれば、いつまでもそのままだ。
まさしく野村の生き方そのもの。常に挑戦し、変化を恐れない。
そのきっかけを与え、他球団で解雇された選手たちを再生させてきた。
ヤクルト監督就任後、ミーティングなどで、選手の態度から「変わりたい」「向上したい」という意欲をひしひしと感じた。池山隆寛や宮本慎也が後年、「野村監督のおかげで今がある」とテレビや雑誌を通じて発言していることを、心から喜んでいる。
野村には、社会に生きる使命感と同時に、自分を大切にする心がずっとある。それが行動の原動力。
野村には、社会に生きる使命感と同時に、自分を大切にする心がずっとある。それが行動の原動力。
「だから、お互いに気軽に“頑張れ”と激励しあっても、違和感がない」。
毎年シーズンオフに解雇される選手が、異口同音に「もっと頑張っておけばよかった」と言うのを聞いて一番感じること。「いつの時代も同じ。チャンスのときにやらず、ピンチのときに気づく」。
「だから判断は間違ってはいけない。基準があるのだから。決断は賭けである。何に賭けるかが大切」。
「苦しいことを苦と思わない。それを楽しいと思えるほど野球が好き。苦しみも冷静に考えれば“楽しい”と思う瞬間がある」。最近「試合を楽しむ」「勝負を楽しむ」という言葉を安易に使うスポーツ選手が多いことについての苦言。「“楽しい”という言葉を間違っ…
新人の頃、ハワイキャンプで門限を破って遊んでいた先輩が、監督からひんしゅくを買ったのを機に、野村が一軍での出場機会を得られるようになったことから。
レギュラー出場するようになった若手時代、打ち込まれてベンチに戻ると、南海・鶴岡一人監督から叱責された。配球などを質問しても「勉強せい!」と突き放されて、途方に暮れた。
「自分は何のために生まれてきたのか」。その根源を考えられる人間こそ、真の目標を持って生きることができる。
仕事と人生、仕事と社会は連動させるべき。
野村の基本哲学。プロセス主義である。「大昔から選手に伝え続けていること」。
「これでいい」「自分はすごい」と思った瞬間から下り坂。
他者と差があるのに“見て見ぬふり”を続けていると「そのうち自分のアイデンティティさえ失う。勝者と敗者の分岐点もそこにある」。
人は自己愛につい傾いてしまうもの。だが「自己愛に基づいた自分の評価よりも、他人が下したそれの方が正しい」。この厳しさと客観性こそ求められる。「“自分はまだやれる”と考えていても、人はそう思っていない」。45歳で現役引退を決断したときに実感した…
野球をする前に一社会人として「いかに生きるか」。これを考えれば、野球(仕事)に対する取り組み方も自然に変わるもの。
「人」という字も、支え合わなければ生きていけないことを示している。他人あってこその自分。自己と他者を連動して考える視点。
読み方ひとつで「人生」の意味が変わる。それぞれの言葉を大切にすれば、本当の意味で、自分の人生を送れる。
選手によく言う言葉。野球論ではない“人生学”を教える。「人間はなぜ生まれてくるのか、一回くらい考えろ」。
1989年のシーズン後、相馬和夫球団社長からヤクルト監督をオファーされたときに実感した。
尊敬する評論家・草柳大蔵からアドバイスされた。心に深く染みこみ、大切にしている言葉。
野球人である前に社会人であれ。
困難な道のりを2つの“気”で踏ん張った。ひとつは、ユーモア。もうひとつは、夢。