「野村の流儀 人生の教えとなる257の言葉」
真の強さとは、失敗から育まれる。
上ばかり見ていると、自分を過信したり、うぬぼれたりしていることに気がつかない。下を見れば、自分よりつらい目にあっている人、不遇な人、苦しんでいる人が大勢いることを知るはずだ。
何かを成し遂げようとすれば、敵は当然できる。
使命感と責任感が自分・組織・企業を伸ばす。
27年間の現役生活を振り返って。
「だからこそ、素直さや謙虚さが求められる」。
野村が“本の虫”である理由。
感謝の気持ちは、言葉にしてこそ伝わる。
“挨拶”という漢字は、“ひらいて、せまる”という意。相手に心を開いて、すぐそばまで近づくこと。挨拶は人間関係を円滑にする第一歩である。
小さいときには貧乏、プロに入ったときはテスト生、レギュラー時代は華やかなセ・リーグに対して「劣等感」を持つことで、より高みを目指した。
満足したら、そこで成長は止まる。
“ボヤキのノムさん”がボヤく理由。「ボヤキは悪い行為ではない。裏を返せば、理想を持っているということ。理想が高ければ高いほどボヤキたくなる」。
1963年に当時の日本新記録となる52号本塁打を放った試合を振り返って。「第六感」と「ヤマ勘」は違う。第六感は執念のヒラメキ。
「自分は不器用だから、人が100回素振りをすれば、200回、300回やらなければならない、と言い聞かせてやってきた。それだけに不器用な人間の苦労もわかるつもりだし、逆に器用に生きようとする人たちの弱さも見てきた」。
負けに不思議の負けはない。
南海時代、苦手にしていた稲尾和久の投球を16ミリカメラで撮影してクセを発見。対戦打率を3割近くまで上げた。だが、南海の同僚でエースの杉浦忠にその話をしたところ、稲尾に伝わってしまい、稲尾はクセを修正してしまった。せっかくのデータ収集、エース攻…
「我々は結果主義。よい結果を出すためには、どれだけの準備をしたか、で決まる」。
野球をやる上で、野村は「感性」を重要視している。これは生きる上で必要不可欠なことでもあるという。感じる心がない、薄い人は、どの世界でも疎まれる。
「感性を磨くには、感動体験を味わうこと。できる限り本物、一級品、最高級のものに接すること」。
四番に据えれば、四番らしい風格や自信がみなぎってプレーにも好影響を与える。ヤクルト時代の古田敦也が好例。
常に挑戦し、変化を恐れない。これぞ一流。
野村の人生訓。現役引退後、解説や講演の依頼が殺到。ところが、元来口べたな野村は自信を失いかけた。尊敬する評論家・草柳大蔵に相談し、「いい評論、いい解説をしていれば必ず誰かが見て、評価してくれる。だから絶対に手を抜いてはいけません」と諭され…
野村の人生訓。講演のときにいつも話すこと。野村が「人生の師」と仰ぐ評論家・草柳大蔵からアドバイスされた。
満足が妥協を呼び、妥協が限定を呼ぶ。一流は決して、現状に満足も妥協も限定もしない。
色紙に添える座右の銘。「念」は「思」よりも強い言葉。どんな選手にも目的を明確にさせ、強い動機づけを持て、と説いた。
「身体能力に優れた新庄に、配球とは何か、相手がどんなリードをしてくるのかを体験の中で知って欲しかった。新庄は考える習慣に欠けていたから。でも、キャッチャーをやらせると嫌がると思ったから、ピッチャーをやらせたんだよ」。
打者に向かっていく闘争心がないと、投手は大成できない。捕手は、目配り、気配り、思いやりと危機管理のマイナス思考。
「あそこの奥さんは感じがいい」と思わせるのがキャッチャー=女房の当然のつとめ。
捕手は、チームで唯一、他の選手と逆方向を向いている。しかも一人だけ座っている。異なる視点と視野で、戦局を見つめているのだ。「捕手は守りにおける監督の分身」。
投手を支え、監督の意図を読み取り、試合中に欠けたり忘れたりしそうなことを、補ってくれる存在。