感性は生きる力なり
全力投球で真っ向勝負することだけがプロの勝負ではない。「全知全能を使ってこそ、プロの戦い。ボール球の効用を理解してこそ、名バッテリーと言える」。
捕手の条件。セオリーどおりではダメ。ときには奇策を交えないといけない。
相手打者が「いい球を見逃す」「いいバッティングをする」「誘い球に手を出してこない」。捕手はそこで「なぜ?」と考える。「一球一球が、なぜ?なぜ?の連続である。捕手は細かい情報が欲しいのだ」。
配球には、捕手の特徴、性格がよく反映されるという。
歴史に名を残すプレイヤーは、自分という“商品”を客観的に「感じる」「見抜く」。
自らが経験し、考える。これが一流への階段を上がることにつながる。
「引退後を生きるために、今日を生きるべきだ。とりあえず、本を読むことから始めてみろ」。
工夫することで、きっかけ、変化が生まれる。
データを大切にする野村だが、データや情報を鵜呑みにはしない。分析や評価を通じて、“知識”に変えている。
野村が“本の虫”である理由。
1963年に当時の日本新記録となる52号本塁打を放った試合を振り返って。「第六感」と「ヤマ勘」は違う。第六感は執念のヒラメキ。
野球をやる上で、野村は「感性」を重要視している。これは生きる上で必要不可欠なことでもあるという。感じる心がない、薄い人は、どの世界でも疎まれる。
「感性を磨くには、感動体験を味わうこと。できる限り本物、一級品、最高級のものに接すること」。
「身体能力に優れた新庄に、配球とは何か、相手がどんなリードをしてくるのかを体験の中で知って欲しかった。新庄は考える習慣に欠けていたから。でも、キャッチャーをやらせると嫌がると思ったから、ピッチャーをやらせたんだよ」。
「考えるスポーツである野球において、感じなければ、話にならん。成長しない」。
「カン」という漢字の種類はたくさんある。野村は辞書を引いてみて気づいた。「全部異なる意味やけど、全部野球に必要なこと」。
データを取る側、受ける側の考え方ひとつである。
野村は「感性」の力を信じている。それを磨くためにあらゆる本を読み、さまざまな人の話を聴きに行く。
頭で理解するのではなく、心と体に覚えこませる。そこに到達したとき、試合という舞台で、平常心で力を発揮できる。