「野村の極意 人生を豊かにする259の言葉」
天性と感性だけで生きる人には哲学はないと思うがゆえ、「天才に言葉はない。天才に哲学なし」とも言い切った。
プロに入るほどの素質があれば、野球に対する取り組み方や考え方次第では、そこまで行き着けるもの。
戦力が不足しているなら、点をやらないこと。守備に重点を置くこと。
テスト生だった野村が三冠王を獲るまで成功した理由。相手投手や捕手の配球を分析したり、16ミリカメラを使ってクセを発見したりしてデータ化した。ノート数十冊分にもなった。当時は“データ分析”という言葉はなく、“傾向”と呼んでいた。
野村はドラフトで南海に入団したわけではない。テスト生として入団し、二軍の試合にも出してもらえない立場だった。「契約選手が100本素振りをするなら、テスト生上がりのオレは200本振る、の精神でやってきた」。
テスト生として南海に入団。二軍の試合にすら出してもらえない立場だった。「二軍監督に目を向けさせるには、練習で目立つしかない。ここで終わらない」。
チャンスが少ない立場だとはわかっていた。だが、マイナスの境遇を言い訳にするか、バネにするか。そこに光を見出すか。
王貞治について。1973年、通算本塁打563号で王に並ばれ、74年には先に600号を更新された。憧れの巨人で活躍する王は、まぶしい存在だった。
レギュラー出場するようになった若手時代、打ち込まれてベンチに戻ると、南海・鶴岡一人監督から叱責された。配球などを質問しても「勉強せい!」と突き放されて、途方に暮れた。
変わる勇気を持てるか否か。人は成功しているとき、さらなる変化をすることに躊躇する。失敗したとき、何かを試してみることに二の足を踏む。だが「いい成績でも、ダメな自分に直面しても、今ある状況に慣れてしまうことが最も恐ろしい結果への入口」。敵は…
みな「結果がすべて」と言うくせに、その裏にあるプロセスを重視しない、と感じている。野村は「プロセス」重視主義。結果よりも過程に重きを置く。だが、「結果」を軽んじているのではない。「真の意味で“結果”を追い求めるなら、やるべきことをやらないと…
努力に即効性はない。いつ成果が現れるかもわからない。努力の人も、決して楽しみながらやっていたわけではない。いつ成果が出るのか、いったい成果は本当に出るのか、不安にもがきながら、積み重ねていた。そして、今こそ言える。「努力には必ずいつか成果…
「人材育成とは自信を育てること。つまり、不安材料を取り除いてやること」。
「金田正一、江夏豊、私が受けた杉浦忠、稲尾和久には、打者に向かっていく闘争心があった」。
目標を持ち、徹底的に考え続けた結果である。「際立った野球の才能に恵まれなかった私が生き残れたのは、“母に楽をさせてやりたい、兄に恩返しをしたい”という強い意志と目標があったからこそ」。
歴史に名を残すプレイヤーは、自分という“商品”を客観的に「感じる」「見抜く」。
一流は常に意欲を持続している。現状維持に固執した瞬間、その力は落ちていく。
二度繰り返す者は二流、三度繰り返す者は三流。
他者と自分の差を明確に認め、独自の道を模索する。変化を恐れず、勇気を持って行動する。これがプロに求められる資質。
自らが経験し、考える。これが一流への階段を上がることにつながる。
失敗に対して潔く責任を認め、受け入れること。この強さと客観性が向上心につながり、自己変革のきっかけとなる。
王貞治や長嶋茂雄、イチローは、自分への挑戦を続けてきた。
「たいした実力もないのに自分はスターだと勘違いしている選手や、周囲から甘やかされて“これでいいんだ”と自己満足している選手」。自己満足ほどやっかいな敵はいない。
「引退後を生きるために、今日を生きるべきだ。とりあえず、本を読むことから始めてみろ」。
タイトルを獲る素質を持った選手が、3年でタイトルが獲れなければ、幸運がない限りタイトルは獲れないとする「タイトル3年以内論」に対して。
工夫することで、きっかけ、変化が生まれる。
「選手教育の第一歩は、ルール感覚。秩序感覚を植えつけること」。
「キャッチボールとは思いやりの心でするもの。受けやすい、投げやすい所に投げる。これこそがチームワークの原点」。
人間の本当の価値は損得を超えたところにある。「何度も言う。それが私の信念である」。
「再生に成功した選手は、すべてをやり尽くさないまま、ただ結果が出ないから解雇された者がほとんど」。たとえば、投手が球種をひとつ覚えるだけでガラリと変わる。「方法を伝授し、考え方を変えさせる。これぞ再生の秘訣」。“再生工場”と言われる野村が、…