人を育てる
若手選手と接するときは特に大切。打者がカウントや状況、配球パターンなどを考慮して、結果として失敗した場合、「できるだけの準備をしたのだから」と叱らない。「全力を尽くした上での失敗から学ぶことは少なくない」と知っているから。
真の指導とは、新たな選択肢や視点を与え、試させて、気づかせること。
“再生工場”と言われる野村は、「選手の考え方を変えるのは、本人が気づくことができるか、にかかっている。指導者は気づかせてやることが大切」と説いた。あくまでも「変わろう」とする本人の意思が大切。自分を変えられるのは、自分しかいない。
「野球という仕事を通じて人間形成、人格形成に励め。人格や品格を落とす行動や言葉は避けろ」。
南海のエースとして活躍した江夏豊、江本孟紀、主砲の門田博光を評して。手がかかる子ほど可愛いもの。そして個性豊か。結果を出す才能もあふれていた。「オレはこの3人に育ててもらったと感謝している」。
ハングリー精神が足りないと言われる現代の選手に対して。
「人材育成とは自信を育てること。つまり、不安材料を取り除いてやること」。
「選手教育の第一歩は、ルール感覚。秩序感覚を植えつけること」。
チームは人と人がつながった組織。これは親兄弟、家族や故郷を大切にする思いの延長線上にあると信じている。団体競技は、つながりとまとまり。人としてのルールも学べる。「子供は絶対に団体競技をやるべき」。
「世の中、一人では生きていけない。社会は自分の思い通りに動いてくれない。一人で生きていけない以上、人間関係をうまく作る円滑さや、他人の痛みを知ることを早く身につけさせたい」。
「特に日本シリーズの舞台が、一番キャッチャーを成長させる。最低4試合以上あるし、同じ相手と戦うから、キャッチャーは(データ分析などが)大変。記憶、推理、判断が求められる」。
“挨拶”という漢字は、“ひらいて、せまる”という意。相手に心を開いて、すぐそばまで近づくこと。挨拶は人間関係を円滑にする第一歩である。
四番に据えれば、四番らしい風格や自信がみなぎってプレーにも好影響を与える。ヤクルト時代の古田敦也が好例。
色紙に添える座右の銘。「念」は「思」よりも強い言葉。どんな選手にも目的を明確にさせ、強い動機づけを持て、と説いた。
選手に対して、口を酸っぱくして伝えた言葉。裏方の協力があって、はじめていい成績が残せる。
責任感は、自分に与えられた役割に対する「ここまではやらなければいけない」という気持ち。自覚は、「ここまでやって当然」という気持ち。個ではなく、“チーム(組織)の中の個”を意識している。信頼感とは、監督と選手がお互いに持つ信頼感、選手が自分自…
選手に言い続けたこと。現状に慣れず、満足せず、常に進歩すること。変わること。
「名選手、名監督にならず」という言葉もあるが、逆に無名選手でも名監督になれる。
リーダー、係長、課長、部長……役職のある人間は、部下のやる気を引き出す対応が求められる。そのひとつが“対話”。
育てるということは、部下に合ったものを見つけてやること。
「怒るは感情のまま。叱るは愛情がないとできない」。怒ると叱るの違いを、野村はこう定義する。
「日本のコーチは親切過ぎる。教えたがる。自分の存在感を押し付けている。コーチは“手助け屋”でいい」。
自分をコントロールできて、はじめて物事を成す。「ルールに従わせながら育てること」は、人材育成のポイント。秩序感覚を育てる。
子供の教育にも通じる考え。野村は中途半端を嫌悪する。
「飯田からミットを取り上げたんや。キャッチャーより外野の方が向いとった。適材適所や。キャッチャーのままだったら、こんなに活躍しとらんやろ」飯田哲也は1986年ドラフト4位でヤクルト入団。当時は捕手だったが、野村が監督に就任すると、足が速い飯田は…
南海から、ずっと弱小球団を率いてきて。意識改革には時間がかかるが、それをするのもリーダーの重要な仕事。
1990年、40年の歴史で優勝わずか1回、前年まで9年連続Bクラスというヤクルトの監督に就任したときの言葉。
なかでも重要なのが「人づくり」。人がつくれなければ、チームも試合もつくることはできないからだ。
「育成とは自信を育てること。自信とは見通しのこと」。
語り合い、理解し合うこと。よい上司は、部下に発見の喜びを与える。