野球人たる前に社会人たれ
阪神監督時代、久万俊二郎オーナー(当時)と3時間半会談し、編成部の大改革を迫った。相手が年上でも、大経営者でも、臆することなく発現するのが野村流。チーム改革への情熱、野球に関して譲れないプロ意識が心を突き動かした。
自分をだまし、相手をだましながら、ピンチをしのぐ。「そこからは決して努力は生まれない」。
選手に伝えていること。「どうせ……」と思ったとたん、現状維持どころか、人間の力は落ちていく一方。
野村には、社会に生きる使命感と同時に、自分を大切にする心がずっとある。それが行動の原動力。
野村には、社会に生きる使命感と同時に、自分を大切にする心がずっとある。それが行動の原動力。
愛情あっての理論やアドバイス、理論に基づいた愛情など、指導者は発信すべき。
指揮したすべての球団で、野球と直截関係ないことを口酸っぱく伝えてきた。
「野球という仕事を通じて人間形成、人格形成に励め。人格や品格を落とす行動や言葉は避けろ」。
「一芸はすべての道に通じる」。だからこそ、他のことにも目を向ける。
大成する人の共通項に“遊び心”があると言う。「あくまでも仕事にプラスになる遊び」。
「あのとき、母が他界していたら、今の自分は100%なかった。小学2年のときと3年のとき、母は二度ガンに見舞われ、戦前の医学でありながら奇跡的に助かった」。「苦労しながら、病弱な体で頑張りぬいて支えてくれたから、今の私がある」。プロ野球界で選手・…
3歳のとき父が戦死し、母子家庭で貧しい生活を強いられた幼少期だったが、母の愛情に育まれ、たくましく前向きに夢を持って成長したと自負している。大切なのは、形あるものではなく、愛情という無形のもの。
ハングリー精神が足りないと言われる現代の選手に対して。
「引退後を生きるために、今日を生きるべきだ。とりあえず、本を読むことから始めてみろ」。
人間の本当の価値は損得を超えたところにある。「何度も言う。それが私の信念である」。
「仕事を通じて成長と進歩があり、人間形成と人格形成を促していく」。人間教育が大切だと考える理由。
自分は生かされている、という気持ちが大切。「人間が一番嬉しいのは、自分を認めてくれている、必要としてくれていること」。
「今“自由”の勘違いが多い。自由の裏についてくるものは責任。責任に裏打ちされた自由であるべき」。
チームは人と人がつながった組織。これは親兄弟、家族や故郷を大切にする思いの延長線上にあると信じている。団体競技は、つながりとまとまり。人としてのルールも学べる。「子供は絶対に団体競技をやるべき」。
ヤクルトの相馬和夫球団社長の言葉を意気に感じて。ヤクルト本社の役員大半が野村の監督就任に反対した中、「失敗したら、野村と一緒に私も辞めます」と啖呵を切って信念を貫いた人。「心が揺さぶられた」。
人は自己愛につい傾いてしまうもの。だが「自己愛に基づいた自分の評価よりも、他人が下したそれの方が正しい」。この厳しさと客観性こそ求められる。「“自分はまだやれる”と考えていても、人はそう思っていない」。45歳で現役引退を決断したときに実感した…
自分だけが得をする、目立つ、いい思いをするなど、自分勝手な行動を個性とは呼ばない。個性は周りの人の承認と納得があって輝くもの。
野球をする前に一社会人として「いかに生きるか」。これを考えれば、野球(仕事)に対する取り組み方も自然に変わるもの。
「人」という字も、支え合わなければ生きていけないことを示している。他人あってこその自分。自己と他者を連動して考える視点。
読み方ひとつで「人生」の意味が変わる。それぞれの言葉を大切にすれば、本当の意味で、自分の人生を送れる。
選手によく言う言葉。野球論ではない“人生学”を教える。「人間はなぜ生まれてくるのか、一回くらい考えろ」。
1989年のシーズン後、相馬和夫球団社長からヤクルト監督をオファーされたときに実感した。
尊敬する評論家・草柳大蔵からアドバイスされた。心に深く染みこみ、大切にしている言葉。
「生きていくための基本的な知識や情操は家庭や学校ではぐくまれるが、仕事を通じて人生を知り、人間的に成長する」。仕事と人生は直結している。
野球人である前に社会人であれ。