野村克也 名言集

仕事に挫折したとき、組織に悩んだとき、人生に苦しんだとき… 野村克也の言葉があるじゃないか。ノムさんの人生哲学が凝縮された名言集。

家族愛

自分を生んでくれた親に孝行しようという気持ちがない人間が、満足な仕事をできるはずがない

親孝行=感謝の心と言える。親孝行は、大成するための必要にして最低限の条件。

忍耐の裏にあるのは希望である

努力するということについて、野村は誰にも負けなかった。人の倍以上練習したし、毎夜の素振りも欠かすことはなかった。けれど、「つらい」「苦しい」などとは一切感じなかった。それどころか「楽しい」とさえ思った。なぜなら、忍耐の裏側には「一流になれ…

親孝行は大成の絶対条件である

親に感謝し、恩返しをしたいと思えば、選手として大成し、大金を稼げるようになるしかない。「大成した選手は例外なく親孝行だ」。

私の人生で、一番誇れるものといったら母

「あのとき、母が他界していたら、今の自分は100%なかった。小学2年のときと3年のとき、母は二度ガンに見舞われ、戦前の医学でありながら奇跡的に助かった」。「苦労しながら、病弱な体で頑張りぬいて支えてくれたから、今の私がある」。プロ野球界で選手・…

私たちは貧しかったが、心の中まで貧しかったわけではない

3歳のとき父が戦死し、母子家庭で貧しい生活を強いられた幼少期だったが、母の愛情に育まれ、たくましく前向きに夢を持って成長したと自負している。大切なのは、形あるものではなく、愛情という無形のもの。

三冠王が獲れるほどの選手になれたのは、明確な目標があったから

目標を持ち、徹底的に考え続けた結果である。「際立った野球の才能に恵まれなかった私が生き残れたのは、“母に楽をさせてやりたい、兄に恩返しをしたい”という強い意志と目標があったからこそ」。

一日も早くレギュラーになり、高給をとって親孝行したかった

プロのなる=母親孝行をすることだった。だからこそ、レギュラーになってお金を稼ぎたかった。捕手はレギュラーが一度固定されると、その座はなかなか空かない。野村は大ファンだった巨人を断念し、正捕手が30歳以上の球団を調べて、南海と広島が該当。育成…

この花、兄貴とよう食ったわ。懐かしいな。甘いんだよな

ヤクルト監督時代の1997年5月。神宮外苑では濃い紫色のつつじが満開になる。花の美しさを伝えた記者に、野村はその美しさではなく、味で答えた。貧しい少年時代だった。3歳上の兄と新聞配達、アイスキャンディーを売り、子守などをして家計を助けた。新聞配…

ワシは支配下選手やからな

野村の“監督”は夫人の沙知代さん。「世界広しと言えども、あの人についていけるのは私だけだと密かに自負している」。

人はいろいろ言うけど、オレにとってはいい女房や。あいつはプロ野球選手の妻としては最高や

愛妻・沙知代さんは料理上手で、野村の食事はすべて作る。野村の来客の際は、お手伝いさんには何も頼まず、自らお茶やコーヒーを用意するという。そんな沙知代さんについて、野村は「怖い、かわいい」。

「野村克也引く野球はゼロ」と私はよく言うが、「野村克也引く沙知代もゼロ」である

照れ屋の野村だが、その野球愛、夫婦愛は深い。