プロとは
コーチがいくら懇切丁寧に指導しても、自分から「覚えよう」という意識、姿勢がなければ身につかない。
ヤクルト監督時代、エラーをした選手がベンチに戻ってくると「ドンマイ、気にするな」という声がかかった。それを聞いた野村は烈火のごとく怒った。プロならば失敗を「恥ずかしい」と思わなければならない。失敗を恐れてはいけないが、それを恥と思わなけれ…
野村が野球の練習を「つらい」とか「苦しい」などと感じなかった理由。野村は自ら望んでプロの世界に足を踏み入れた。だから、どんなにつらくても「苦労」だとは思わなかったのである。向上するためには苦痛が伴う。しかし、自分で選んだ道であるならば、そ…
努力は大切。だが、がむしゃらな努力は見当違い。「優れた才能を持ちながら使い方を間違えたり、自分が向いているのは別の方面なのに、方向違いの努力をしている選手もいる」と警鐘を鳴らす。まずは自分を知ること。向き・不向きなど、自分に対する“適材適所…
阪神監督時代、久万俊二郎オーナー(当時)と3時間半会談し、編成部の大改革を迫った。相手が年上でも、大経営者でも、臆することなく発現するのが野村流。チーム改革への情熱、野球に関して譲れないプロ意識が心を突き動かした。
選手に頻繁に言う口癖。知力の戦いに厳しさを求めている。
緻密な戦略、知力から生まれた戦いこそプロ。
プロ野球界に入って50数年、プロ野球について考えてきた“誇り”が自分を支えている。
変化=進化を止めない者こそプロ。
「ちなみに私は入団2年目の終わりから3年目にかけて、その時期だった。24時間、野球しか考えていなかった」。
全力投球で真っ向勝負することだけがプロの勝負ではない。「全知全能を使ってこそ、プロの戦い。ボール球の効用を理解してこそ、名バッテリーと言える」。
プロ野球の一員として南海に入団したときに感じたこと。レギュラー選手との差を実感した。だが、自らの不足に目を背けず、ひたむきにあきらめず頑張り続けた。
プロに入るほどの素質があれば、野球に対する取り組み方や考え方次第では、そこまで行き着けるもの。
チャンスが少ない立場だとはわかっていた。だが、マイナスの境遇を言い訳にするか、バネにするか。そこに光を見出すか。
王貞治について。1973年、通算本塁打563号で王に並ばれ、74年には先に600号を更新された。憧れの巨人で活躍する王は、まぶしい存在だった。
「金田正一、江夏豊、私が受けた杉浦忠、稲尾和久には、打者に向かっていく闘争心があった」。
王貞治や長嶋茂雄、イチローは、自分への挑戦を続けてきた。
「今“自由”の勘違いが多い。自由の裏についてくるものは責任。責任に裏打ちされた自由であるべき」。
「オレはこんなもん。これくらいやればいいや」と自分で限界を作る。最も楽で卑怯な考え方。
血のにじむ努力を積み重ねながら、いまだに「満足」していない。また「成功した」と言われるのも、言うのも、好きではない。
向上心の大切さ。「人間、向上心を失ったらおしまいだ」。
1977年、南海を退団したときに感じたこと。屈辱的な監督解任を受けて実感のこもった言葉。
限界を越えずに終わるのは、「ただ逃げているのと同じになる」。
1975年5月22日、通算600号本塁打を打ったあとの記者会見での言葉。王貞治に遅れること1年。史上2人目となる600号を決めた。1ヶ月前から会見での言葉を考えていた野村は、自らと王・長嶋を花に例えた。自分を表す花は、故郷・京都の夕方になるとたくさん咲く…
「君たちは一年ごとの契約で生き延びている。球団は渋いかもしれないが、関係ない。まずチームに貸しをつくって、会社を儲けさせろ。そうせな、金は取れん」。
ヤクルト監督時代、野村のコメントであるかのように、新聞で「捨てゲーム」と書かれたことに対する反論。
子供の教育にも通じる考え。野村は中途半端を嫌悪する。
プロとは当たり前のことを当たり前にできる人間をいう。プロに、満足・妥協・限定は三大禁句。
結果主義ではなく、プロセス主義の野村の本音。目に見える結果だけではなく、努力の過程を大切にしている。
現役時代も、監督になってからも、投手に伝えている言葉。「捕手のサイン通り、ただなんとなく、という投球ではダメ。一球一球に根拠を持て」。